[私の語学人生11 ] 〜フランスに住む〜

[私の語学人生11 ] 〜フランスに住む〜

二十歳の頃のヨーロッパ旅行で感じた
「ここに住むかも…」という予感。
その予感が現実になったというべきか、
強引に現実にしたというべきか、
大学卒業後の春、私は仕事に就くのを1年遅らせて
パリに10か月間の語学留学をしました。


大学3、4年は専門の勉強ばかりをしていて
フランス語から遠ざかっていたのですが、
このまま仕事についたらもう一生使わず忘れるんだろう…
と思うと居ても立ってもいられなかったのです。



パリでは語学学校に通い、最初はホストファミリーにお世話になりました。
6区のアパルトマンに犬と暮らす、パリの典型的な家族。
螺旋階段の真ん中に造られた狭いエレベーター、絵や家族の肖像画がたくさん飾られた、間接照明の多い暗めのアパルトマンはまるで映画の中のようでした。


お父さんはのんびり失業中、お母さんはしっかり者で留学生を受け入れることで生活を成り立たせ、子供たちは思春期真っ只中、犬は皆のアイドル。
何も飾ることなく、ありのままの生活の中に入れてくれ、毎晩皆で食卓を囲みました。


初日からホストマザーと気が合い、あらゆる話題について女同士で話し込みました。
フランス人の議論好きは相当なもので、おかげでフランス語はかなり上達したと思います。
一方、子供たちは中高生でバリバリの若者言葉だったので
『これが巷のフランス語か!分からん!』
も存分に経験しました😆


滞在の後半は、大学附設講座の上級クラスに入れば労働許可を取得できると知ったので、そこに入り、
ベビーシッターと日本割烹のバイトを掛け持ちしながら、ルームシェアをして暮らしました。
ゼロから日本で勉強したフランス語だったので、
自分の努力で得た言葉を使って、
本来縁のない街でバイトまでして生活できたことは、
私の大きな自信になりました。



「おフランス」と言われるほどエレガントなイメージのあるフランスですが、住んでみると、


・その辺にたくさん落ちている犬のフン
 (今は当時よりもかなり綺麗です!)
・生活に支障をきたしまくる頻繁なスト
・お役所からの滞在許可証の取得が苦難の連続
・列車も業者も遅延や遅刻が日常茶飯事
・新年を祝うために街に人が繰り出すと、酒瓶がゴロゴロ道に転がって機動隊が出動してなんだかもう大騒ぎ


などなど、びっくりすることがたくさんで、
改めて日本ってなんて何もかもが清潔で便利で人々がちゃんとした国なんだろうと思いました😅


書き始めると止まらないので書きませんが、
とにかく手続系は何一つスムーズには進まず、
ただでさえハードルの高い電話で窮状をまくしたてないと動いてもらえないことの連続で、非常に…鍛えられました。笑


ただ、そうしたことを全部ひっくるめても、
それをはるかに上回る魅力がパリという街にはありました。


地下鉄の切符代も惜しかった私はパリ中を歩いて移動しました。
これほど「街」というまとまりを感じたことはありませんでした。
統一された街並み、街路樹の明るい緑、色とりどりの食材が並ぶマルシェ、ゆったり流れるセーヌ河…
中で毎日生活していても、夕暮れ時などには
思わずため息が出るほどの美しさで、
フランス愛は深まるばかりでした。


また、パリはお金がなくても芸術を堪能させてくれる街でした。
第一日曜日は多くの美術館が無料、
オペラ座や劇場は桟敷席や当日券が格安で、
街中にも折々に音楽が溢れ、
芸術が本当に誰の手にも届くところにあると感じました。


語学学校ではヨーロッパ各地の友達が出来、
それぞれの国に遊びにいきましたが、
列車も様々な格安プランがあり、うまくいけば国境を跨いでも数千円で移動することができました。
日本では外国は自動的に「海外」ですが、ここは陸続き。
そしてまた言語の近さもまるで違うのだなと、
軽やかに一夏フランス語を学んで母国に帰っていくヨーロッパの友達を見て、びっくりしてしまいました。


ここに生まれ育つのと、日本で生まれ育つのでは
「国際」とか「外国」の肌感覚って全然違うな…と
感じましたし、私にとってはそれだけ一気に世界が
グッと縮まったように感じた10か月でした。

~To be continued★~

PROFILE

法律関係で17年のキャリア
米仏在住経験、仕事での国際交渉等の経験から
英語によって世界に羽ばたく人を増やしたいと
英語コーチとして起業☆

✔仕事で英語が必要
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✔一般的な英会話では対応できない、
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