[ 私の語学人生4 ] 〜潜伏時代〜

[ 私の語学人生4 ] 〜潜伏時代〜

潜伏時代って意味がわかりませんね。笑
水の底に沈められている感じから始まった、
まだ英語が喋れなかった1年のことです。


実はこの時期のことは、断片的にしか覚えていません。


覚えているのは、母と頻繁に図書館に行って、
毎回30冊くらいの簡単な絵本を借りてきては、
家で片っ端から音読していたこと。
アルファベットは書けるようになっていたし、
当時現地の小2もまだアルファベットの書き方
やフォニックスを習っていたので、
読み方は自然と理解するようになっていたのです。
(基礎としてフォニックスはすごいと思っています!)

当時はそんな知識はなかったけれど、
今思えば「多読」をしていたんですね。
どんどんめくってどんどん読んで楽しかった!
Mr.Happy Mr.Grumpyとかのシリーズが
大好きだったのを覚えています。


それから、校内にあったESL。
(English as a Second Language)
学校内で英語が話せない子をサポートして
くれる部屋があり、授業を抜けて定期的に
行くことになっていました。


そこの先生が、めちゃめちゃ
「アメリカのおばちゃん」という感じで。
行くと、まず窒息しそうなハグに始まり、
honey, sweetheart, sweetie pie, pumpkin pie💕
と子供ながらに「甘ければ何でもいいんかい!」
と思うほど甘い呼び名で呼んでくれます。


生徒たちの誕生日には
子供ながらに「人体に悪そう」と思うような
エメラルドグリーン色のクリームの乗った
超甘い巨大ケーキを振る舞ってくれ。
私が一つずつ何かを言えるようになるたびに
You’re amazing! 😍と驚いて褒めてくれ
窒息しそうなハグをしてくれました。


英語を教えてくれた記憶よりも、
おばちゃんの愛情表現ばかり覚えていますが、
そんな先生の熱い愛に心もほぐされ
私は少しずつ馴染んでいったのだと思います。


クラスでもNoと言えるようになって
嫌いな子に連れ回されることもなくなり、
少しずつ、学校の授業も分かるようになっていきました。


近所で家庭教師をしてくれていた
アメリカ人の先生が言うには、
私は渡米から一年くらい経ったある日、
突然、堰を切ったように
ベラベラと英語を喋り始めたそうです。
「え?急にアメリカ人になった?」
みたいな感じで先生も度肝を抜かれたとか。


私にはその日の記憶はないのですが、
ただ自分の中の感覚として、
英語で自由に意思疎通ができるようになった時、
水底からプハーっと水面に浮上したような、
「やっと世の中の支配を取り戻した!」
みたいな強烈な感覚がありました。
(「支配」って帝王みたいな意味ではなく…笑)


1年間、必死だったような気がします。
元いた日本の環境から切り離され、
言葉もわからない、見た目も違う、
まるで勝手の違う国に放り込まれ。
親はいても、学校は一人で乗り切るしかない。
能天気な性格が幸いしたのは確かですが、
子供なりにサバイバルでした。


だからここで水底から浮上できた経験は、
その後の人生でも私をポジティブに支えて
くれる、大きな原体験となりました。

~To be continued★~

PROFILE

法律関係で17年のキャリア
米仏在住経験、仕事での国際交渉等の経験から
英語によって世界に羽ばたく人を増やしたいと
英語コーチとして起業☆

✔仕事で英語が必要
✔読み書きはできるけど会話に自信が無い
✔一般的な英会話では対応できない、
 会議、交渉や研究発表など、
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