[ 私の語学人生6 ] 〜帰国後暗黒時代〜
[ 私の語学人生6 ] 〜帰国後暗黒時代〜
予定通り2年間で日本に帰国したとき、
私はもう日本の郵便ポストの色さえ忘れていました。
ことあるごとに背の順で「前へならえ」させられること、
行事のために全員が揃うまで何度も練習させられること、
一つ一つに違和感しかなく、
言葉は分かるのに、
また馴染みのない世界に放り込まれました。
渡米前と同じ公立小学校に戻ったのですが、
とても人数の多い小学校だったのもあり、
クラスに知り合いはわずか、しかも年度の後半でした。
そのお年頃は女子と男子が完全にクラス内で分かれ、
女子は既に小さいグループを作って固まり、
何かあると仲間はずれになるという村社会でした。
女子が一応声をかけてくれたりはするのですが、
アメリカでしていたような服装をして行ったら
「さすがアメリカだね」みたいなことを言われたり
「いいよね、英語話せるんでしょ」と言われても
「うん」と言ってはいけない圧力を感じたり。
自分が異物として微妙に思われているのは明らかでした。
幸い?私はどこのグループにも入れず、休み時間は
1人で机に座って男子の定規バトルを眺めていました。
そこで色々女子グループなどを観察しながら、
私は「ここではとにかく浮いてはいけないんだな」
ということを空気で理解しました。
習い事で仲良い子のお母さんと親が話していても
「いいわね、まゆみちゃんもう英語ペラペラでしょう」
「大人と違って、子供のうちに行くとそれだけでね〜」
「いいわね、帰国子女は!羨ましいわ〜」
そんな会話が幾度となく繰り広げられていました。
親は人前で謙遜して調子を合わせていたのだと思いますが、
私はそういう大人の会話に地味に傷ついていきました。
すごく辛い時期を経て、自分でたくさん頑張って、
いろんなことができるようになったと思っていたけれども
言われるのは「頑張ったね!」ではなく、
「いいわね」ばかり。
そうか、私は、たまたま親が外国に住んだというだけで
ラッキーな「帰国子女」という人種なんだ。
英語ができるようになったのは、
ただ恵まれていたからなんだ。
そこまで思い詰めなくても…😅と今なら思います。
でも再適応で苦しい中でもあり、
思春期の入口でもあり、
私なりに多感な時期だったのだと思います。
そして私はこの頃、心に決めました。
絶対に外で英語は話さない。
「これ読んで」などとよく言われていましたが
わざとカタカナ風に読むようにしました。
帰国子女感は絶対に出さない。
ちゃんと日本人になる。
「帰国子女だから得してる」みたいに言われたくないから
中学受験も絶対に帰国子女枠では受けない。
大切だった英語の世界は、自分の中にしまっておく。
まだインターネットも普及していない時代、
アメリカの親友とも文通しかできません。
アメリカの現実感は急速に遠のいていきます。
この頃の写真を見ると、顔つきがびっくりするくらい
おとなしい顔に戻っています。
頑張って手に入れて楽しんでいたキラキラした世界を
「はい、終わり」と小さく畳んで奥にしまい込んだような、
そんな時期だったように思います。
~To be continued★~
PROFILE
法律関係で17年のキャリア
米仏在住経験、仕事での国際交渉等の経験から
英語によって世界に羽ばたく人を増やしたいと
英語コーチとして起業☆
✔仕事で英語が必要
✔読み書きはできるけど会話に自信が無い
✔一般的な英会話では対応できない、
会議、交渉や研究発表など、
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